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命の電話

「命の電話」の研修を受けたとき
講師がこんな話をした。


「 ”この電話を切った後、僕は電車に飛び込んで死にます”
 この話を聞いて ”今どこにいるの?”  と
 助けに行きたくなる人は
 命の電話には向いていないので
 この部屋から出て行ってください。
 その意味がわかりますか?」


その頃の私は「ドキ」っとして
その意味もわからず
でも、この部屋からは出て行きたくなく
その理由がただただ知りたくて研修を受け続けた。


命の電話は
かけてきたその人との電話の中で
その人の辛くてどうにもならない
その気持ちにどれだけ寄り添えて共感して・・・


それでもやっぱり電車に飛び込んでしまうかも知れない・・・


”あなたはひとりじゃないよ”

って伝えたくても


”自分はひとりぼっちだ”

って感じてしまうかも知れない


自他の区別の中で
やっぱり電話の向こうにいる
かけがえないのない命あるその人に

この瞬間
できることは「傾聴」することしかないのだ



保育所保育指針の「子育て支援」の
保護者対応について

「寄り添い・受容し・共感する」

そして

「答えは保護者自身に任せる」

もしくは

「保護者が自分で答えを導き出せるように
   寄り添い、受容し、共感する」

とあります。



”答えは自分で出す”



相手を尊重するとは
相手がどんな答えを出してもその答えを尊重することなのだろうか・・・


尊重の基本的なかかわりが「傾聴」ならば
自分に関心を持って
自分の心の声を受け止められたら
前向きな答えにつながるのだろうか・・・



それでも

やっぱり

できることは

「あなたの話を聴かせていただきます」
「どんな話からでもいいですよ」
「あなたのことを教えてください」
「なぜならあなたのことはあなた自身が一番知っているから」
「どこからでも話したいことから、どうぞ自由に話をしていいんですよ」

傾聴なんだな。


ーMISAー